第25章 分離された状態
「疲れた人、貧しい人を私に与えたまえ/自由を求めて身を寄せ合う人たちを」。これは、自由の女神像の台座にある銘板に記されたエマ・ラザラスの詩の一節
そういえば自由の女神像の由来とか、なぜそこにあるのかとか全然知らない...
移民は、両者が互いを受け入れることを選択するという点で征服とは異なる
島国であまりに身近に意識することがなかったので、定義すら意識したことがなかった。。たしかにそうか。
形式はともあれ、地方の工場で技術留学生を定期的に受け入れて居るのは、移民のような扱いになるのだろうか(想定に対して規模が小さいとかの理由でそうはならないのかな??)
やはり、ウクライナの情勢が変わってからはこの書籍を読む感覚が明らかに自分の中でかわったなー。
初期の国家はしばしば辺境の人々の移動を規制していた
具体的な事例が気になる。著者の想像?
歴史において移民の受け入れが段階的に進んでいったということを・・・
非常に興味深い。
基本的には国家や群衆は細分化、分断化されていくと思っている中で、移民の受け入れが段階的に進化するって、統合であり、逆行の流れになるので、そこがどんな進化を得てきたのか、は興味があるなぁ。
動物の場合でも、大抵は一度に一頭ずづ新たにやってくるものは、まず試練を経てから運が良ければ受け入れられる
移民は、一人ずつでは無いという点で、この前提はちょっと変わるのかな??にしても、既存の文化・社会側が評価して、受け入れる、という姿勢は変わらないのか(対等ではないのか)
過去にアラブのどこかで、サッカー文化を構築するために戦略的にお金を投下して、施設の拡充や選手、コーチの帰化を推奨、文化ごと買ってしまおう、としていた例を聞いたこともあったが、いくら比較優位な文化であっても、自分たちの文化がベースで、評価を加えてそこに融合させていく姿勢はかわらないのか。
トマス・ジェファーソンは当時、移民が大量に流入してくることで、「[アメリカの]方向性がゆがめられ、偏らされ、この国が、異質なものが混ざり合った統一性のない混乱した集団」になってしまうと嘆いていた(
アメリカといえば移民の国というイメージ強かったけど、最初からそうだったわけではないということか。過程を乗り越えてきたんだな
自分達が移民なのにこういうことを思うのがまぁ時代だなーって感じだ。
トマスも移民じゃん!!
他の言語から単語を取り入れながらも、そして長い期間にわたって接触を続けた後でさえ、言語間の境界線があいまいになることはない。
これなんというかすごいなー。って思ってしまう。言語があくまでボトムアップでありながらも、近年では国語教育みたいなものが各国で行われていることのバランスの結果なんだろうか。
面白いなぁ。移民の文化を評価して選択して受け入れている以外に、既存の文化に融合させていくために、何かゼロから生み出すのとは異なる生成的な活動がありそうだけど、何かあるのかなぁ(気になる)。そして、日本って、そのへんがとてつもなくうまいような気もしている(移民を受け入れた話は知らないので、ちょっと文脈が異なるかもだけど)
異質性のもつ力は、先に説明した最適弁別性という観点から理解することができる。
なんかすごそうな性質が出てきた
集団が、肯定的な何かに貢献し、うまく機能する全体のなかで必要不可欠なものであるとみなされるなら、社会的な利点はとりわけ大きなものになりうる
インカ帝国のルカナ人は皇帝の輿をかつぐ仕事を与えられていた
マヤ領域における民族という分類あまり詳しくないけど、特定の人たちが特定の仕事を与えられているというのはわかる。小人が王や貴族のお世話をするような絵があったはず。
当時の人たちのアイデンティティの違いを現代から洞察するのって結構難しい。所有していた土器の形状や装身具の意匠とか住居の形とかで考えるしかない。マヤは文字があるからまだマシ(タイムマシンはよ)
2022-05-10
いったい国家はどのようにして、このようなおおむね友好的な流入を受け入れるようになったのか?
これ普通にコミュニティとか会社でもおもうところだよな。最初のバンド社会ではそうではなかったのと比べても。
試練を経てから同化するっていうのがそうだよなーっていう感じ。
社会に同化しつつある人々は、自身についての認識における食いちがいが原因で生じる困難に直面する。自分自身のとらえかたと、他の人たちによる自分自身のとらえかたとのあいだのバランスを取らなくてはならない。
自身は経験したことないけど辛そう。ウクライナにおける親ロシア派とかアイヌとかマヤ民族のことが思い浮かんだ。
あー。自分もアイヌが思い浮かびましたね。。。
イタリア人の身分が変化したのは、黒人のアメリカ人たちの数が急増し、白人とイタリア人とのちがいが以前よりあまり重要ではないと感じられるようになったのと同じ時期
実際のところ、増加していく少数派を前にして、優位集団が、権力を保持するためにメンバー数を拡大せざるをえなくなるのかもしれない
アイデンティティの違いの強弱は環境によって思ったより動的なんだなあ。無意識的に強弱が変わるのかな。生存戦略として「AはBよりも我々に近いからAとは仲良くしよう」みたいな動きをするのは理解できる。
少数派がアイデンティティの幅を広げようとする場合があるっていうの、現代のDEI(Diversity Equity Inclusion)のことでめっちゃ納得した。
ジェファーソンは、そのような中核となるアイデンティティを念頭に置いて、権利や宗教へのかかわり、労働倫理についてのアメリカの理想を策定した(32)。最初は市民のあいだで共有すべき歴史がほとんどなかったために、ひとつの国家という意識は必然的に、共通の物語や人々の民族的な起源ではなく、ほとんど一から作り上げられたシンボルを基盤に形成された。それ以来、国旗や国歌がアメリカ人の生活において重要な一部となっている
なるほどー。たしかに移民がたくさんいるアメリカだと身体的な特徴などを横断した、文化的?なアイデンティティが必要だったのかー。国家レベルでそれを実行するのすごいな。ジェファーソンの自伝とか読んでみたい(教科書とかにあったような気もするけど忘れてしまった汗)